海が見える街 大磯町石神台

石神台の歴史と風水

石神台の歴史と風水

 

石神台を開発する事前の発掘調査で、この高台に縄文・弥生~奈良・平安の複合遺跡が見つかりました。住居址は見つかっていませんが、小型壺や土偶が検出され「石神台遺跡」の名がついています。
石神台中央の、配水池がある小山は、「水道山」と地元では呼んでいます。この山頂に国府の平野の中央にある、六所神社の元宮だった祠が残されています。この山頂からは富士山が見え、古代の人が大事にした場所と思われます。
六所神社の由緒によれば「崇神天皇の御代、櫛稲田姫を守護神として創建され、当時は『柳田大神』と称した。」とあります。櫛稲田姫は、須佐之男命が出雲で「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を退治した時、結婚した稲作の神です。出雲から柳田の人たちが、この風光明媚な国府の平野にやってきて、稲作による開拓を始めたのでしょう。そして故郷の稲作の神を祀ったものと思われます。
この姫神を守るように、平野の四方に須佐之男命を祀る八坂神社などがあり、図はその配置です。妻を必死に守る須佐之男命の姿に見えて、ほほえましく思います。

この2.5km四方の平野は、三方が山に囲まれて南が海に面し、「四神相応の地」と称する、良い風水相があると思われます。地理風水は地形を見る中国の学問です。四神の北は玄武で鷹取山です。東は青龍で城山と不動川です。西は白虎で石神台と国道1号です。南は朱雀で相模湾です。平安京も風水により選ばれた都ですが、この平野は小さいが、より完璧な風水相と思われます。

玄武の「鷹取山」と同名の山は、全国に17あります。同種の「高取山」は18あります。近くの秦野市に高取山があり、これと玄武の鷹取山は対に名付けられていたことが分かりました。日本武尊東征が足柄峠を越えたあと、この温暖な平野で越冬するため、国府に進んだことを記録したのでしょう。越冬地は高天原の名が残る馬場公園付近と思われます。ここからは富士山が、石神台の水道山の上に見ることができ、それで選ばれたのでしょう。翌春、東征隊は東京湾を渡る際に嵐に遭遇し、この時、妃の弟橘媛は嵐を鎮めるため身を投じてしまいます。悲しみの日本武尊は媛を偲び、帰還の経路に吾妻山をいくつか残します。二宮駅近くの吾妻山は、思い出の越冬地に立ち寄ったときの名付と思います。二人が歩いた「こゆるぎの浜(ロングビーチの浜)」に、どんな想いで立ったのでしょう。古代ロマンあふれる平野です。
 鷹取山の風景のフォトギャラリーは、こちらから御覧ください。鷹取山のある風景

この小さな平野に残る国府の地名は、何度か変遷した相模国の最後の国府の名残です。六所神社のお祭り「国府祭(こうのまち)」はそれを伝えています。毎年、5月5日子供の日に、六所の神輿が馬場公園と神揃山の斎場に揃い、相模国の一宮を争う座問答が行われます。屋台もたくさん出て賑わいます。
この平野が相模国の中心地となり、その斎場が高天原と言われる馬場公園なのも、由緒ある日本武尊越冬地だったためと思われます。
画像は、日本武尊が焼津で、賊が放った火に囲まれたとき、草薙の剣で周りの草を刈り、迎え火をもって危機を脱出した風景を描いた、焼津神社の飯塚羚児奉納画です。後に妃の弟橘媛は次の歌を歌っています。
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも