海が見える街 大磯町石神台

石神台について(旧バージョン)

 大磯町石神台は温暖な気候です

 冬、「平塚より1℃は暖かい」は、平塚市から大磯町に越してきた方が、実感で語る言葉です。湘南平、西部丘陵が北風を遮るためと思われます。
 石神台がある大磯町国府地区は、北に鷹取山(219m)があり、東西は80mほどの丘陵が囲む小さな平野です。概略2.5km四方あります。南はプリンスホテル・ロングビーチがある海岸段丘の向こうに相模湾が広がります。

大磯町石神台付近の拡大

 このため、海洋性気候の特徴である1日の風のパターン、海風が見られます。午前11時ころになると、陸が温まり上昇気流が生まれるため、海の風が入ってきます。盆地に見られるような、激しい寒暖の差がなく、海風の影響で冬暖かく夏は涼しいのです。
 特に石神台は、国府平野の北風の通り道、粕谷街道と呼ばれる県道63号線から外れていて、さらに暖かいと感じるのは、住民の実感です。
 海が近いと心配になるのは、潮風の影響ですが、石神台は海から直線距離で1kmあまり離れていますので、建物や車への影響を感じたことはありません。一般に海上や海岸で発生した海塩粒子は、その殆んどが海岸から300m以内で失なわれるとされています。


 自然が残る平野です


 JR東海道線の下りに乗ると、大磯と二宮間で二宮駅も近づいたころに、山側の畑の向こうの丘に、石神台の住宅地が見えてきます。この小さな平野には畑があり田んぼがあり、梅林があります。裏山は富士山が見える丘陵地帯です。ここは大都会の近くに残る希少な田舎なのです。

 石神台から22分ほど歩けば海岸に出て、波打ち際に立つことができます。
四季の風景は感動の風景です。春早くは梅です。梅林が点在し、いち早く春を知ります。石神台の五つの公園には桜があり、身近に春の訪れを感じることができます。ロングビーチ横の葛川の桜並木や国府祭りの会場となる馬場公園の桜など、豪華ながら静かに桜を楽しむ場所に事欠きません。
 夏は祭りの風景です。小さな平野に八坂神社が点在し、週を分けてお祭りが続きます。自転車で平野の北に2kmも上れば棚田の風景に、稲が生長した秋の収穫の実りを想像することができます。海が見える石神台の坂道で、相模湾に高く昇る入道雲を見るのは、夏も終わるころの風景です。

 秋は紅葉ですが、石神台の紅葉は暖かいせいか、温暖化のためか11月末から12月に入ります。大磯はミカンの北限と言われていますが、近くのミカン園には都会から家族でやってきます。西部丘陵のミカン農家に毎年予約して、ミカン狩りを楽しむ石神台の家庭も多いです。
 1月は浜で初日の出を迎え、平野の中心にある六所神社に初詣するのが、新年を迎える行事です。また国道を通過する、大学箱根駅伝の応援を楽しみます。こうして国府平野の行事や風景をたのしむ1年がスタートします。別メニューの「フォトギャラリー」で美しい自然の風景をお楽しみください。


 静かな住宅地です


 大磯町石神台は、神奈川中央交通(㈱が、海を望む丘に街を造成し、1978年に発売を開始した、第一種低層住居専用地域です。26万㎡の広大な街並みで、2017年7月現在、約700世帯、1,700人ほどが住んでいます。
 この海を望む静かな街に魅かれ、多くの皆さんやってきたのです。現代はいろいろな雑音が生活の中に飛び込んできます。静けさは、探さなければ見つからない宝と言えるでしょう。飛行場の離発着音、工場騒音、商店、幼稚園・学校の喧騒、電車や国道などの絶え間のない交通音、それらがここ石神台にはありません。
 JR東海道本線や国道1号線からは400mあまり離れているからです。時にやってくる廃品回収のスピーカーが昔の金魚売りの声のようです。昼も静かですが、夜は「道路騒音などの不規則変動音が非常に小さく聞こえる」35デシベル台までの静かさです。地図で見れば新幹線が近くを走りますが、新幹線は住宅地の北の谷筋とトンネルで抜けていて、全く睡眠を妨げるものではありません。


 恵まれた土地です

 石神台は災害の少ない恵まれた土地と考えています。防災の専門家ではないので、この考えは長年住んだ実感での話です。最近は地震や記録的短時間大雨が飛び火のようにあちこちで発生します。住む場所は選びたいものです。
「地震」 発表された「表層地盤増幅率」を基にした、神奈川県の揺れに強い街ランキングの上位は、1位がここ大磯、2位が大船、3位が同値で、あざみ野と長津田だそうです。地震速報が出るたびに、この大磯は周辺地域に比べ震度階が一つ小さいか、表示された震度階より小さく感じるのはたびたびです。石神台の地質図を見ると堆積物は主に砂岩となっています。揺れが小さいのは、切土の庭にスコップを立てることができないほどの、この固い地盤のためのようです。発生が心配される東南海地震での、この地区の震度予想は6弱~5強です。

大磯町の土砂災害ハザードマップで、石神台付近を拡大表示

「津波・水害」 石神台は台が付くように、20~70mの高台にあります。津波、水害を心配されて、石神台に移住を考える方もおられます。災害は想定外のことが発生しますので、油断はできませんが、雨や雪の降り方も違うように思います。雨雲は主に北西からやって来ますが、富士山や箱根あるいは丹沢の影響で雨雲が、これを越してやってきたときは降雨量が著しく変化するように思います。地盤のみでなく地形的にも災害が少ないと思われます。
「土石流」 図は大磯町の土砂災害ハザードマップで、石神台付近を拡大表示しています。赤点線は緊急輸送路です。石神台では、これまで土石流発生の過去はありませんが、茶色で示した土砂災害警戒区域(急傾斜地)が数か所あります。
 傾斜度が30°以上で、高さ5m以上の斜面と斜面上端から水平距離10mおよび下端から斜面高さの2倍の距離が指定区域です。住宅地は丘陵の中腹にあるので、斜面は高くないが、注意は必要です。石神台自治会には防災部があり、自主防災グループのメンバーと共に防災に努めています。
「竜巻・雷」 竜巻は警報が出ても、対策が困難です。石神台は一つこれで良いところがあります。竜巻は急激な積乱雲の発生に伴いますが、これは大きな平野で、地面が熱せられて生じる積乱雲によるものがあります。ところが石神台の後背地は西部丘陵地帯で、森が多くあり都市化した平野のような過熱がないことです。そのため雷などは、前線の通過時にのみあるように思います。
「渇水」 関東の取水制限は、夏の恒例のようになっていますが、神奈川県は、取水制限から外れているのです。神奈川県は丹沢水系の川から取水していて、石神台の水も相模川系、酒匂川系いずれにもつながっているようで、取水制限はめったにありません。これは神奈川県全体についての良いところです。


 犯罪・トラブルの少ない街です

 

「犯罪」 これから住もうとする街が、犯罪やトラブルの多発地帯では困りものです。1978年に石神台が誕生して以来、全員が他の土地からやってきました。そして良い街にしようと、努力してきた歴史があります。

 始めにやってきた人達が、日本が急成長する中で新しく家を求めた、同じ世代の人たちだったので、良くまとまり民主的な自治活動を開始しました。次々生まれる課題を話し合い、団結して解決してきました。失われた20年の終わる2013年頃に、空き巣や車上狙いが多発すると、ボランティアによるパトロールが開始されました。いまでは各地で見られるパトロール風景も、石神台は先駆でした。
 石神台はお城のように守りに強い地域で、車での進入路は4か所しかなく、そこへの防犯カメラの設置と「防犯カメラ設置地区」の表示も効果的で、パトロール効果と合わせて犯罪は劇的に少なくなりました。長年、犯罪ゼロが続いてきましたが、残念ながら2016年に事務所・出店荒らしが1件ありました。空き巣、ひったくり、車上狙い、自転車盗などは発生していません。
「近隣トラブル」 住み始めても近隣とトラブルが生まれては、楽しくありません。互いにルールを守り、譲り合い、コミニケーションよく生活したいものです。
 ピアノや犬の吠え声などの近隣騒音はトラブルになりがちですが、トラブルの声が聞こえてこないのは、互いに気遣いをしたり、譲り合いが行われているのでしょう。

 ゴミ出しも、トラブルになりやすい事柄です。FRP製の大きなゴミ箱が設置されていて、カラスを寄せ付けず、当番制による清掃で清潔に保たれています。移住前に諸状況やルールをお知りになりたい方は、「お問い合わせ」からメールください。
「交通安全」 石神台の主要道路は、やや交通量が多くバスも頻繁にやってきます。この主要道路には歩道が両側、または片側に必ずあります。それでも横断中や駐車場から出る車、信号のない交差点などでの事故は発生します。通学路の安全や公園の安全なども含め、大磯警察署と力を合わせ、終わりのない戦いを進めています。


 歴史と風水の里です

 

 石神台を開発する事前の発掘調査で、この高台に縄文・弥生~奈良・平安の複合遺跡が見つかりました。住居址は見つかっていませんが、小型壺や土偶が検出され「石神台遺跡」の名がついています。
 石神台中央の、配水池がある小山は、「水道山」と地元では呼んでいます。この山頂に国府の平野の中央にある、六所神社の元宮だった祠が残されています。この山頂からは富士山が見え、古代の人が大事にした場所と思われます。
 六所神社の由緒によれば「崇神天皇の御代、櫛稲田姫を守護神として創建され、当時は『柳田大神』と称した。」とあります。櫛稲田姫は、須佐之男命が出雲で「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を退治した時、結婚した稲作の神です。出雲から柳田の人たちが、この風光明媚な国府の平野にやってきて、稲作による開拓を始めたのでしょう。そして故郷の稲作の神を祀ったものと思われます。
 この姫神を守るように、平野の四方に須佐之男命を祀る八坂神社などがあり、図はその配置です。妻を必死に守る須佐之男命の姿に見えて、ほほえましく思います。

 この2.5km四方の平野は、三方が山に囲まれて南が海に面し、「四神相応の地」と称する、良い風水相があると思われます。地理風水は地形を見る中国の学問です。四神の北は玄武で鷹取山です。東は青龍で城山と不動川です。西は白虎で石神台と国道1号です。南は朱雀で相模湾です。平安京も風水により選ばれた都ですが、この平野は小さいが、より完璧な風水相と思われます。
 玄武の「鷹取山」と同名の山は、全国に17あります。同種の「高取山」は18あります。近くの秦野市に高取山があり、これと玄武の鷹取山は対に名付けられていたことが分かりました。日本武尊東征が足柄峠を越えたあと、この温暖な平野で越冬するため、国府に進んだことを記録したのでしょう。越冬地は高天原の名が残る馬場公園付近と思われます。ここからは富士山が、石神台の水道山の上に見ることができ、それで選ばれたのでしょう。

 翌春、東征隊は東京湾を渡る際に嵐に遭遇し、この時、妃の弟橘媛は嵐を鎮めるため身を投じてしまいます。悲しみの日本武尊は媛を偲び、帰還の経路に吾妻山をいくつか残します。二宮駅近くの吾妻山は、思い出の越冬地に立ち寄ったときの名付と思います。二人が歩いた「こゆるぎの浜(ロングビーチの浜)」に、どんな想いで立ったのでしょう。古代ロマンあふれる平野です。
 この小さな平野に残る国府の地名は、何度か変遷した相模国の最後の国府の名残です。六所神社のお祭り「国府祭(こうのまち)」はそれを伝えています。毎年、5月5日子供の日に、六所の神輿が馬場公園と神揃山の斎場に揃い、相模国の一宮を争う座問答が行われます。屋台もたくさん出て賑わいます。
 この平野が相模国の中心地となり、その斎場が高天原と言われる馬場公園なのも、由緒ある日本武尊越冬地だったためと思われます。
 画像は、日本武尊が焼津で、賊が放った火に囲まれたとき、草薙の剣で周りの草を刈り、迎え火をもって危機を脱出した風景を描いた、焼津神社の飯塚羚児奉納画です。後に妃の弟橘媛は次の歌を歌っています。
   さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも


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