海が見える街 大磯町石神台

ホワイトケープのギャラリー (2024.04.24更新)

ホワイトケープのギャラリー (更新日2024.04.24)

弥生終末の大規模な 東国移住の記録> 

日本の同名同種の山に記録された、東国集団移住記録を発見しました。移住集団は西日本各地(沖縄を除く)を出発して、山口県から北海道に至る東国各地に終着地を記録していました。東国各地からの出発も多数記録されていて、2次、3次の再移住があったと推測できます。北海道では稚内や択捉島の先までの移住を記録しています。

 経路記録は出発地と終着地に名付けた2山のみのものから、同名や同種の山名を途中経路に多数名付た記録も多く、移住経路として採取した数は1250余となっています。

調査結果を、次のリンクからご覧になれます。経路調査図が多いため分割のpdfになっています。

分割の1  弥生終末における大規模な 東国移住記録( 1~ 71p)  

分割の2  弥生終末における大規模な 東国移住記録( 72~109p)

分割の3  弥生終末における大規模な 東国移住記録( 110~155p)

  

<稲荷を訪ねて北へ> 

 稲荷の神の「大いなる旅」の痕跡を訪ねて、北日本を一周した旅の報告です。稲荷の神とは、伊勢の下宮に祀られている豊受大神です。魏志倭人伝が記す卑弥呼の亡きあと、13歳で倭国の2代目大王を継いだ少女です。少女は大きくなると、邪馬台国の遷都を指揮し神武の戦闘部隊を後方で補給部隊を指揮しました。東征が終わると、大王の位を神武に移譲し、東国開拓を指揮したのです。「大いなる旅」は東国の開拓に入った人達を、激励しながら千島列島の倭国の境界を訪ねた旅です。日本人の自然に畏敬し、先祖に感謝する宗教観を普及させた女王でもあります。何が見つかったか、次のリンクから旅の画像をご覧ください。

旅の報告・画像はこちらから 稲荷を訪ねて北へ

<石神台の石・ロマン>

 偶然に巡り合った庭石に始まるお話です。それが国府にある鷹取山も関係してきます。日本建国にかける熱い想いが見えてくるでしょう。命をかけた古代ロマンです。そこには「4月8日」のキーワードがありました。その4月8日を明日にひかえ、2021年4月7日に発表できる偶然も導かれたものかも知れません。

本文はこちらから 石神台の石・ロマン

 

<山を訪ねて会津・小国へ>

10月下旬の朝遅く、20万kmに達する愛車のポンコツで気ままな旅に出ました。画像の青線のようなコースです。圏央道で久喜まで走り、ここから下道を古河、小山、下野、鹿沼とのんびり走り、日光は今市で一泊しました。今回の旅の目的は、鳥屋山と明神山をいくつか訪ね、運が良ければ素晴らしい紅葉に出会える期待の旅です。

↓写真はこちらから
山を訪ねて会津・小国へ
 

戻る