大磯町の鷹取山をきっかけに、古代史を研究してきました。全国に見つかる18対の鷹取山・高取山は、日本をつくった二つの東征の、進攻方向を記録したベクトル(矢印)でした。
今回の発表は、大磯町国府地区の風水を調べる中で、六所神社と富士山を結んだ直線が反対方向は、走水に繋がっていることの発見に始まります。走水は日本武尊が東征の折、東京湾を渡った船出の場所です。ところが渡海の最中、春の嵐に遭遇し、妃の弟橘媛が身を投げて嵐を鎮めたと記紀に残ります。日本武尊は無事に渡海しますが、浜からいつまでも海を見ていたとのことで、木更津はこの君去らずに由来します。美智子上皇后は小さい時の感動の物語として、この話をされたことがあります。
日本武尊は、副将軍と力を合わせ東国を、隈なく遠征し帰りに一冬を過ごしたこの国府の里を再び訪ね、二宮駅近くに「吾妻山」を遺しました。
その先、帰還の途中、伊吹山で賊の毒矢を足に受け、足を引きずりながら奈良に帰ろうとしますが、三重の能褒野にいたり、弟橘媛の生まれ里の亀山を目前に力尽きます。
三重県の「三重」の県名は、「吾が足は三重のまがりの如くして、いと疲れたり」の古事記の一文に由来します。近くに白鳥陵と呼ばれる日本武尊の陵が築かれました。
この大磯町国府地区の風水に端を発する、感動の物語です。
記
1 タイトル 鷹取山で記録した二つの東征
2 発表日時 9月6日(土) 10:00~12:00
3 発表場所 大磯町生涯学習館 集会室(2階) 大磯町高麗2
4 参加費 無料
5 参加制限 町内外制限なし。
6 聴講資料 当日配布
7 発表者 鷹取山スタートの歴史研究会
8 後援 大磯町教育委員会
9 問合せ先 72-5194 白崎
10 参考図 下の参考図は、神奈川県内と全国の鷹取山と高取山の分布図で、神武東征と日本武尊東征の進攻方向を記録しています。富士山に対する強い思い入れも読み取れます。下図のT1→T2は、神武の大和入り後の東国移住作戦への出発の記録です。九州島内朝倉の三角域Tは、邪馬台国にあった高天原の領域です。議論の多い邪馬台国にあった倭国の都の位置は、解けています。

