2008年から、大磯町の鷹取山をきっかけに、古代史を研究してきました。全国に見つかる18対の鷹取山・高取山は、日本をつくった二つの東征の、進攻方向を記録したベクトル(矢印)でした。
西日本のベクトルは、記紀が記す神武東征の東征途次の記録で、さらに戦闘部隊や補給部隊など、いくつかの部隊の経路も同名同種の山で記録されていました。
今回の発表は、弥生終末期の遺跡の発掘状況を全て、この東征部隊の移動経路から説明可能か検証した結果の報告になります。東征後半では豊受大神による東日本移住作戦が見つかっています。大和王権成立の過程が考古学的に立証できた大きな成果なので、研究のスタートとなった石神台でまず報告しようと考えました。気楽に参加ください。
記
1 発表のタイトル 神武東征を考古遺跡から検証
2 発表日時 4月15日(土) 13:00~15:00
3 発表場所 石神台公民館 1階
4 参加費 無料
5 参加制限 石神台の町内外制限なし。マスク要
6 聴講資料 当日配布
7 発表者 石神台3-1-6 白崎 勝
8 参考図 下の参考図は、神奈川県内と全国の鷹取山と高取山の分布図で、神武東征と日本武尊東征の進攻方向を記録しています。富士山に対する強い思い入れも読み取れます。下図のT1→T2は、神武の大和入り後の東国移住作戦への出発の記録です。九州島内朝倉の三角域Tは、邪馬台国にあった高天原の領域です。議論の多い邪馬台国にあった倭国の都の位置は、解けています。

